40歳代の隠居生活は20歳代のころから想定していた。ただ、それを隠居とは認めてもらえないとも思っている。プータロー、フリーター、最近ではパラサイトと、いろいろと呼び方がある。
山中慎一朗は隠居と呼んでいる。民法でも隠居の制度があったが、日本国憲法の施工と同時に廃止された。つまり隠居と呼んでも法律上の問題はない。
では、なぜ「隠居」なのか?
46歳となり、社会のシステムが見えた。もちろん全てではなく、日本という民主主義の社会が進もうとしている方向性が見えた。それに乗らなくては、日本では生きていくのが難しい。かといって、海外で暮らそうとも思わない。それで「隠居」となる。
日本という国の中で生きてゆきながら、日本が目指す生き方が出来ないので「隠居」。プータローともフリーターとも違う。
1960年代のヒッピーが近いのかもしれない。日本ではフーテンと呼ばれていたようだ。フーテンの寅さんも死んでしまった。
果たして、このご時世の中で隠居できるのであろうか?が最大の課題。まず、無理でしょう。
でも、してしまおうと思うのが山中慎一朗である。これは、2度目のチャレンジ。一度目は失敗した。今度はどうなのだろう。また、すぐに就職してしまうかも知れない。先は見えない。
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